昭和50年05月01日 月次祭
昨日信心は私共が天地の親神様の氏子であると云う事を、自覚させるという。それが教えの芯であります。天地と私共の係り合い繋がりと云う物が、親子の繋がりと悟らせて貰う。所謂解らせて貰う。又それを具体的に様々な角度から説いてあるのが、教祖の信心御教えのまぁ言うならば、全てと言うても良い訳です。理屈の上でお話を聞きますと。成程天地と私共の関係と言う物は、まぁ少しばかりの勉強をしてれば、過ぐ解る事で御座いますけれども。話を聞けば成程と、合点が行くのですけれども。
それを実感として感じて行けれると云う事は、矢張り一生掛りで、此処ん所を極めて行かなければなりません。しかもその親神様の懐の中にあるというのですから。もうこんな安心な事はないのです。ですから不安であったり、安心でなかったりと。云うならば知ってはおるけれども、解ってはおるけれども、まだ芯から解っていないと云う事になるのです。そこん所をです。
私は日々お取次を頂いて、信心の稽古をさせて頂いて、そして成程親様じゃなぁ、親神様じゃなぁというおかげに触れて参りまして、そこの所の実感が段々出来てくる。吾神の子である、氏子であろち云う自覚。しかもその神は私共の親であるという。しかもその親神様の懐の中にあるんだと、解らせて頂くのですから。もうそこには不安も無からなければ、心配もないという状態を開いて行くのです。先日から郷の浦教会の五年の記念祭でありました。お父さんが壱岐の町で布教なさっておられる。
云うならば壱岐の教会が親教会。ご長男でありながら、お道の教師を断念して、お道の教師にはならないと云うて。他の仕事をなさっておられる内に、こちらの方へまぁ言うなら、海を渡ってこちらへ見えておられて。たまたま当時の椛目を知り、そしてお話を頂いて行く内に、それこそ神力というか神様の働きの、容易ならない事に気付かれて。それから学院行きを目指され、そして言うならば荒れ地の布教地とも等しい様な、郷の浦という小さい、私は行った事がないですけれども。
まぁ小さい漁師町らしいんです。にまぁ布教をされて丁度五年になる。それで若先生達夫婦が、招待を頂いておりましたので。飛行機の切符を頂いておりました。それでこちらからむつ屋の社長さんと三人で参りました。所が丁度雨嵐で飛行機が出らないというのです。電話が掛かって来ました。だからもう帰らせて頂きましょうかというて、電話が掛かって参りました。折角福岡まで行って思い立ったんだから、船で行きなさいと。それから船で行く事に決めました。
それから二時間半ばっかりしたら、電話が又掛かって来ました。今日聞きましたら、松栄会の方達が三、四人行っておりましたから。やっぱ皆んな一緒に行ってる訳なんです。それがもう前晩は嵐だったですから、海のうねりがねとてもひどかった。だからもうその前後左右にこう、揺れる訳ですね。だからもう皆んな、酔うてしもうた。只酔わないのは聡子一人、孫がひっついて行ってました。孫だけがきょろっとしとる。是はどう云う事かというとね。本当にこういう状態がね。
天地の親神様の懐の中にあっても、安心しきっておる状態だから酔わんのです。神様のお守りを受けておりと言いながら、御神米を頂きながらね。酔い段せんじゃろうかと思うて、所謂神様を疑うておるのも同じ事なんです。だから信心というのはねそう云う三つ子のいうなら心の様な状態に、私共が段々なって行くと云う事が言うならば信心の極意であります。そこで場合には馬鹿にもならなければならない、阿呆にもならなければならない。そこから成程馬鹿になる事が。
阿呆になる事が此の様に尊い素晴らしい事だと云う事になって来るのです。今日午後の奉仕の時に、久留米の近見市長夫婦が参拝して参りました。この頃はもう丁度合楽に御親縁を頂いて、前の第一回の自分が市長に立候補された時からですから。もう五、六年になりますでしょうか。初めの間は矢張り、まぁ言うならば票欲しさとでも申しましょうか。只当選のおかげを頂く為の云うなら、お参りであったのが、この頃は段々おかげを頂いて、言うならば久留米市全体の事が願われる。
だから久留米市民は幸せですね。あの近見先生彼方がこうして議会の事を願われ、久留米市民の事を願われる。愈々大きく愈々久留米市民の、言うならば助かりが日本の助かりにも、又繋がって行き又は世界の助かりにも繋がって行く程しの、大きな願いを掛なければいけません。大きな願いを持ちますと、不思議にです。例えば修行が修行と感じられない。問題があっても問題としない。こう云う大きな願いを立ててあるのだから、此の位な修行はもう当たり前になって来る。
今日も言うておられました。今度先日から市会議員の選挙で御座います。新しい顔ぶれの議員さん達が、沢山今度は出来ました。中々やり難うして、難しかというごつ、難しいと云う事を、具体的に色々と話というよりも、お届けをなさっておりました。それで私はこう言うた。それで先生こう言う様な場合、どういう様な心掛けにならせて頂いたら良いだろうかと、こう言う訳です。それで私が先立ってから、佐賀の池田県知事が立候補される時に。もう兎に角佐賀県から二人の方が出られる。
その相手の方も敵ながらも実に見上げた方。人物も素晴らしい。又県民の人達もですもう本当に二人を並べたら、どちらにしようかと言う位に、人物も素晴らしいからね。もうお世話をする人達もね。良いか悪いかこう大抵差があればね、良いのですけれども。ですから此の度は矢張り、苦戦になりそうだと。そこで伊万里市長の竹内先生に、そのあんたのお参りしておる所の神様に、お願をしてどういう心掛けになったらよろしいかと云う事を伺うてくれないかというお願いが、竹内市長から御座いました。
その時に私が頂きました事がね。公の心。まぁ言うならばです。佐賀県のいうならば助かり。自分の地位とか、名誉とかそういう小さい事じゃなくて、自分が県知事になったが、佐賀県の為に一番なるんだという確信を持って一つ、おかげを頂かなければいけない。しかも佐賀県の助かりは日本の助かり、と云う位な大きな公の心を持つ事だと。その内容として、天地日月の心になる事だと、私が申しました。天地日月の心と言う事をです。そして細々と説明をさせて頂いた。
丁度開票のありました朝でした。私はまだここへ奉仕をしておりましたら、伊万里市長から電話がかかって来た。只今池田県知事のご挨拶が御座いました。おかげで当選の栄を得たというその県民に対するまぁ挨拶でしょう。その中にです此処で御教えを頂いた。云うならば佐賀県の助かりが、日本の云うならば平和にも助かりにも繋がらなければならないという、自分の抱負を語られた。
しかも天地日月と云う言葉を使いながらね。まだ他にこう大変ちょっと聞きましたけれど、もう忘れました。天地日月のその内容を、この心で行きたいという。私はもう素晴らしいと思うた。偉いなぁと思うた。そら合楽の金光様から、こげん教えて貰うたけんとは、言わっしゃらしなかったろばってんね。だから矢張りそういう心掛けにならせて頂く所からです。人の信望も又付いて来る。又佐賀県の言うなら、繁栄も必ずおかげになって来るんだと云う話を、今日近見市長にさせて貰った。
そして今日はね今月の一つのあなたの信心としてね。人を責めないこう云う風に私が裁かず私が決めないと言う事である。私が裁かず私が決めないと。やっぱその市長さんともなるとですね。分かる所が早いですはぁち言うておられました。もう自分が裁こうとする所に、何時も心がイライラである。自分が決めようと云う時に何時も迷いがさぁ右にするか、左にするかと言う心が起きジレンマに陥る。
成程例えば良く申しますよね。人を責める資格はない人間は。人間が人間を裁くと言う様な事は、持っての他なんだと云う様な事を言われますけれども。私はお道の信心によって、私が裁かずというおかげを頂いたらです。必ず神様が裁かなければならないものは、裁いて下さる、答えは出して下さるという働きが生まれて来ると言う事なんです。だからもう自分が裁いたら、もうこんなに御無礼な事はない、また馬鹿らしい事はないのです。自分が決めると云う事だって同じです。
自分の小さい知恵で決める。それをです自分が決めると思わずに、神様に決めて頂くと云う様な心掛けで、今月は行かれたら良いでしょうと。今日は奥さんも大変その事でおかげを頂かれた。是は私自身の小さい家庭の事でも、やっぱりそうなんだと云う訳です。人を人間に育てるのが教育だと、昨日でしたか一昨日の御理解の中にあった。人を人間に育てるのが教育である。人間を、神の氏子としての、自覚に導くのが、宗教である。今日私が一番初めに申しました。
私共が神様の神の氏子であるという自覚に立たせると云う事なんです。金光様のご信心です。そこからその自覚が本当なものに成って来るに従って、生まれて来るのが安らぎであり、安心であり云うならば不安はない、心配はないと云う事にも成って来ると。そこには腹も立たない不足もないと云う事になるのです。そういう例えば生活を求めて行かなければなりません。まぁ兎に角私共が解らせて頂けば頂く程、もう本当に全て一切の事に、お礼を申し上げること以外に何にもないのを。
自分の都合で自分を中心にして考えるから、損したの分が悪いの、又不平不足が出て来るのです。昨日は月末御礼会でしたから、皆さん一口ずつ先月のね。言うなら四月の月のおかげを受けた、お礼の言うならば焦点は何処であったか。又四月信心の稽古をさせて頂いたなかで、何を一番大事とするかという。私は一口ずつ皆さんに、それを纏めさせて頂いたので御座います。まぁ結論としてです。
言うならば降る事も照る事も、又有難いんだと云う事です。兎に角素晴らしい事です。自分の都合でです。例えば降らんが良いと思うておる所へ降ると、はぁにくじなお天気だとこう言う。そのにくじなお天気と云うのが、天地に対する御無礼になるのだと。合楽がこうやって人が助かる様になって二十五年間、合楽の春秋の大祭にお湿りがあった事がない。朝は降りよっても大祭ともなると晴れ上がって行くと云うのが、此処二十五年間であったですね皆さん。
例えばほんなら近見市長辺りがもう、愈々合楽に帰依されたのは、あのインターハイの時に一週間願われて、今まで荒れに荒れ時化に時化ておったお天気が、ずうっと続いたと云う事。その間にお湿りは自分の、久留米市を旧市内を於いて、他はもう全部土砂降りだったと云う事。そういう幾日間の中をです。おかげを受けられた事からです。はぁもう本当に有難いと言う様な物が、段々解って来られた様な感じがする。
もう急速にあの時分から、言うならば本当の意味においての信心が、少しずつ出来ておられると云う様な感じでしたが。その様に言うならば、天地の事が自由になると言う印を見せて頂いて。所が今度十六日の御大祭は、あぁ云う終日お湿りであり。その準備をさせて頂かなければならない内外共にです。清掃などにどうでもお天気でなからなければならんと思うておった、十三日会がもう朝から晩まで終日降り続けた。
お月次祭が降った。二十日の信心実習会私共が出掛ける、もう兎に角私が出掛けるとに、雨が降るなんておかしい。普通の人は今までそう思うておった。所がじゃろかい。もう行きがけだけじゃなく、向こうでもずうっと降り通しであった。まぁそれから合楽の、何か大事な事と云うたら、言うなら先月は、一杯そういうお湿りを頂きました。それが私がお説教の中にも、大祭の時に申しました様に。こりゃどうした事じゃろうかと、今までなら思うただろうけれども。
そのお湿りが有難うして有難うしてと云う事になって来た。此処に合楽の信心が、一つの信心の節というか境というか。一段と信心が高められて行かなければならないものを、神様が促しておられる。そら大祭の日だけ降ったと言うのじゃなくて、そう云う風にして、是でもか是でもかと、本当な事を分からせて下さる働きが、先月一杯ありました。そこで合楽で何かがあります時に、お湿りがある筈はないという、そういう甘い云うならば次元の低い考え方はお互いが一掃して。
それこそ降っても有難い照っても有難いと云う様な境地と。その所をね昨日秋永先生が、こう言う風に話しております。降るとかね照るとかと言う事をね。第一降らにゃ良いがとか、照れば良いがという事を思わない。只降るのを見ておかげだなと思う。照るのに直面すると云やぁ、おかげ頂いたと思う。もうどちらへ転んでも有難いなぁと云う。まるきり生神金光大神の境地です是は。どちらへ転がしても有難い、有難いと丸い手毬に喜びと云う字をいっぱい書いて。そして転がす様な物だ。
どちらへ転がしても喜びだけしか出て来ない。
こういう境地が開けてき、もしありとするならばです。そういう境地を目指さなければならんのです。段々親神様の心が解って来た。親神様の働きの中に氏子が憎いから等と云う様な働きは、ある筈はないんだ。それは自分に都合が悪くても矢張り、氏子可愛ゆい子供が親を思う心がです可愛いと思う心。そういう心がねどう言う様な事の中にも、一杯あるんだと言う事が解って来たからなのです。素晴らしいでしょう。
昨日昨日今日、新しい始めての方達のお参りで賑いました。昨日岩満と言う所から参って来た方があります。親子四人で安藤さんのお導きで参って来た。生まれてまぁ半年もなられないでしょう、赤ちゃんを抱っこして。そしたらもうびっくりした。顔半分が真っ赤な赤ぼやけ。話を聞かせて頂くとそのために、いうならばお家に帰る事も控えておられます。こんな子供を私共は、結局自分が一人で作った訳じゃないのだけれどもね。やっぱ産んでから責任を感じなさる訳でしょう。
その事があまりに心配になってしもうて、とうとうご飯もいけんごとなった。お乳も上がってしもうた。そういう苦しい中に安藤さんのお導きを頂いて、お参りをして来た。名前がなんと和寿子さんというんです。そのかずというのは平和の和という字とね寿という字、そして子と書いてある。もう是は親の思いであり、子供に掛ける、親の願いなのです。どうぞ子供が幸せになってくれる様に。
柔らかいそれこそ寿に寿ぎ通しに有難い事になって来る様にと言う、親の思いがその名前の中からでも感じられます。所が生まれて来たのはそう云うその赤ぼやけで、もう非常に可愛い顔してるのにね。その赤ぼやけの為に親がそういう困っておる。それで私はまぁ色々と此処で、所謂赤ぼやけでおかげを受けた方達。いま言う末永先生所の総代のお孫さんに当たる方が、赤ぼやけでその上何かじぶじぶじぶじぶ出来て、実にぞっとずる様な感じの、生まれた時からそうだった。それがお取次を頂いておかげを頂いた。
今日末永先生が一日遅れて、今日帰って参りましてからのお届けの中にです。もう本当にまぁだ五年にしかなりませんのに、本当に盛大な記念祭が出来ましたが、その集まって来る信者氏子が、皆んな合楽あって今日の郷の浦教会がある。私共信者があると言う、実感の人ばかりの集まりでしたと言うお届けを致しました。その総代さんが先日から七十七ですかね。喜寿のお祝いに夫婦で此処へお礼参拝をして来た。
此処へ一晩泊って帰られた。その方がお食事の時に皆さんに一緒に挨拶をなさっておられましたが。本当に金光様のこの字も知らなかったのが。孫のあぁいう言うならば難儀の中に助けられてそのおかげで、一家中が信心させて頂く様になって、今日おかげを頂いておると云う話をしておる。御神水と御神酒さんで、おかげ頂きなさいと言うて私、その御神水と御神酒さんを持たせてやった。親の思いと言うものは、子供に名前を付けるでもです。なかにはやっぱ、その色々ね変わった人がおってからね。
五右衛門ち付けたという。中には変わり者んがあります。中にはやっぱ決してそげな泥棒の名前を取るてんね。例えばその鼠小僧次郎吉が人気があるけん、次郎吉と付けたという様な、聞いた事はないです。やっぱりね良い人とか本当に素晴らしい人の名を取るとかと云う様に、それは親の情思いなんです。だから信心とはその親の思いが解る事。だから孝行しなければ居られないのである。神様の願いが解り思いが解るから、その思いに応えなければ居られんのであり、又願いに応えなければおられんのである。
昨日研修会の後に、秋永先生が話された後に、私が一口申しました事でしたけれども素晴らしい事だと降っても有難い。一時ばっかり考えとった挙句そこにはぁおかげだなぁとこう思うというのです。誰々が死なしゃったいやぁおかげ頂かっしゃったなぁとこう思うち言うんです。そらまぁ死んだが良かったち云う意味じゃないですよ。おかげ頂かっしゃったなぁと云う気が起こるというのです。
私が最近その合楽の様々な、行事の上にこうしてお湿りが続くと云う事を、神様にお願と言うよりも、お届けさせて貰いよりましたら。大きな檜風呂を頂いてね。檜風呂のこの角の所をね。こう言う風にして組んであるでしょう。檜風呂と云う事は檜という事は、私は神の木と云う事であると同時に、お風呂へ入ったらみんな極楽を感じるのですから。宗教的いうならば、喜びの中に浸るという事だと思うです。
そう言う宗教的一つの喜びがね一段と高められる、今ある事にあるんだと。それにはね。降る事も有難い。照る事も有難い。自分の都合の良い時だけが、良い事だけがおかげではないと云う事を分からせて頂く時に、秋永先生じゃないけれども。降るのを見て有難いと思い。照るのを見て又、すぐ有難いと感じられると。なぁにもないだから願う事すらもないと。そこに私は親神様の思いと云う物が、解らせて頂く所から、そういうスキッとした有難いものが生まれて来る。
是で良いと云う事ではありますまいけれども。ほんなら是からの信心と云うのは、そう云う有難いと云う心で、合楽示現活動に参画させて貰うと云った様な。自分のこの喜びを人にも伝えて行く広げて行こうと云う。そう云う姿勢が又取直される事に成って来るでしょう。まぁ当分はその信心の喜びの中に、浸っておくと云う事も有難い。いうなら風呂に入っておる事も有難いけれども。何時までも風呂に入っておる訳にはいかんのですから。出て来たら活動が始まる。
その活動もそう云う有難い心で、人を導きおかげを頂いて行く。今日私兎に角お礼を申し上げる事以外に、何にもないと云う事をあのう思わせて頂いておりましたら。大きなこうあの熨斗ですかね。あのこんな熨斗がありましょう。引幕なんかに書いてある、大きなのしを頂いた。本当に有難いなぁというその心には、必ずお礼と云う物が伴わなければ駄目なのです。そのお礼の最高と云うのは、身も心も神様に捧げると云う事であります。それを合楽ではまぁ親先生任せと云った様な生き方で。
そこん所を体得する稽古を一生懸命、させて頂いておる訳なんです。親先生に任せた時だけは、もう自分と云う物を捨てておる時。自分の思いとかを捨てておる時なのですから。自分の身も心も命も捧げて、御礼と云う事は、そう云う物が伴わなければならない。お米(よね)も着物も、そしてお金も。是は私共の命の一部なのだ。お金無しには生きては行かれん。着物無しには生きては行かれん。
食べ物無しには生きては行かれん。だからもうそれが即命なのだ。そのだから皆さんが、ああしてお供えをなさるのは、言うならば自分の命を捧げておられるのですから、おかげを受けるのですそれが愈々大になって行く、大きくなって行くそれが愈々大きい意味合いに於いての、お役に立たせて頂く様になる。そのぎりぎりの所が言うならば身も心も、天地の親神様に捧げると云う事が、最高のお礼であります。人を人間に育てるのが教育であり。人間を神の氏子としての自覚に導くというのが宗教である。
話を聞かせて分からせるだけではなくて、合楽では実際のいうなら生活の現場において、成程親様じゃなぁ神様じゃなぁという、そのおかげを受けながら、その心を愈々すっきりとした物に。それこそ船に乗らせて頂いて、三つになる云わば、孫が酔わなかったと云う様な。どこは行っても酔わない。間違いがない心配がない不安がない。そこに神様が助けずにはおかん働きが生まれて来る。そういう境地を目指して行くのが、信心だと言う事になります。時間ですから是で御無礼いたします。
おかげを頂きました。